たまりば

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2011年11月09日

目まぐるしく動く眉と目?

今日街で今にも泣きそうな顔の5歳ぐらいの男の子を見かけた。その顔の表情があまりにもリアル!!でこちらにかなり大きなインパクトを与えた。
こんなに豊かな?顔の表情を見たのは久しぶり。
日本に帰ってから感じることは「顔の表情の乏しさ」だ。話していても表情に変化がなく気が抜けてしまうこともある。その点小さな子供たちは、私たち大人に比べて表情が豊かだと思う。色々な表情で気持ちを伝える。

始めて米国人と話したときあまりに目やまゆ毛、おでこ?がめまぐるしく動くのでびっくりしたことがある。ドイツの人はどちらかというと米国人ほと表情の変化はないが、少なくとも目元や口元はよく動く。

とにかく顔の表情の動きをみているだけで楽しくなる。コミュニケーションも楽しくなる。

日本に帰り、表情変化の乏しくなりつつある私も外国人の友達と話すときは、つられて目がくるくる動いたり、眉毛がいそがしく上下しているのかな?







  
タグ :顔の表情


  • 2011年09月17日

    完璧な日本語?

    先日スポーツクラブで、以前会ったことのあるアメリカ人の女性とばったり会ったのだが、すっかり彼女の名前を忘れてしまい、もう一度名前を尋ねたら、「私のお名前は・・・・です。」という答えが返ってきた。
    もちろんコミュニケーション上は特に問題ないのだが、自分の名前を言う時には「お名前」とは言わず、「名前」ということを説明して訂正すべきがふと考えてしまった。
    私がアメリカ、ドイツにいる時は友達に、「私の英語(ドイツ語)が間違えていたら、直してもらうとありがたい!」と言っていた時期があった。最初のうちは友達たちも協力してくれて、私の言い回しや単語がおかしかったら直してくれたりしていたが、やはり大事なのは中身、内容ということで多少の間違えであればあまり気にならず、直してもらうこともだんだんとなくなってしまった。
    私がアメリカや、ドイツで日本語を教えていたときは、もちろん授業なので、生徒たちが間違えていれば正しい日本語に直すが、外国人の友達との会話では友達の間違った日本語を直してあげたほうがいいのか、またもし直すように頼まれたときにどの程度直してあげたらよいのかと考えてしまったことがあった。
    もちろん正しい言葉で話すにこしたことはないが、人によってはあまり直されるとやる気をなくしてしまうこともある。
    さらにコミュニケーションの内容より、言葉自体にに重きが置かれてしまい、完璧な正しい言葉を話そうと思うあまり、何も言えなくなってしまう場合もある。
    よく外国語を習う時、「もっとうまくなってから話す」とか「完璧でないから話せない」という方がいらっしゃるが、まずは相手とのコミュニケーションをとることが目的である。 言葉は手段であって目的ではない。 あまり言葉に神経質になるとかえって言葉の習得が遅れることもある。
    あくまでも外国語は外国語と割り切っていき、間違えたら、直していくというやり方でいいと思う。
    そのように考えると日本語を学ぶ外国人と日本語で話すとき、日常の場でも何度も同じ間違えをしているときには、直してあげることも必要だと思う。
    先日スポーツクラブで会ったアメリカの方もまた、同じ間違いをしているようならば、そっと正しい言い方を伝えてあげようと思った。